院長紹介
名前 戸梶 仁聡(とかじ ひろあき)
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挨拶 歯科医師になって二十数年間、自分の理想とする、患者さんのための歯科医療を求めつづけてここまでやってきました。私の考える正しい歯科医療のありかたを、 少しでも多くの方に知って頂くために、このホームページを作りました。お口の健康で悩んでいらっしゃる方々に、少しでも喜んで頂ける歯科医療を提供していきたいと思っていますので、よろしくいお願い致します。
略歴 昭和59年 朝日大学歯学部卒業
      明海大学PDI歯科臨床研究所研修医勤務
昭和61年 高橋矯正歯科診療所勤務
平成 4年 とかじ歯科開院
平成14年 上智大学カウンセリング研究所研修生
平成18年 上智大学カウンセリング研究所
      認定カウンセラー資格取得
平成23年 歯学博士(歯乙第574号)取得
平成24年 明海大学歯学部歯周病学分野非常勤助教
資格 日本矯正歯科学会認定医
歯学博士
上智大学カウンセリング研究所認定カウンセラー
NCC認定カウンセラー
所属学会 日本矯正歯科学会
日本歯周病学会
アメリカ歯周病学会
趣味 山登り(トレッキング程度ですが....)
旅行(日本全国制覇。海外は行きたいところたくさんあるのですが、時間とお金ががなくて...)
音楽鑑賞(ジャズ、クラシックなど)写真(散歩がてら何でも撮ります。)
化石収集(小学時分からの趣味。ときどき自分で原石のクリーニングもします)
紹介記事
田園都市ドットコム
宮前区.JP


 
人生には様々な転機が訪れる
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Photo by ミントBlue    

人生には様々な転機が訪れる。東京で生まれ育った私の小さいころの夢は、地震の研究者になり東海大地震の予知をすることだった。しかし、進学した都立高校には地学の先生がおらず(当時は自分の行きたい学校を選択できない受験制度だった)、さまざまな運命のいたずらにより、私は歯学の道を志すこととなった。本当にこれでいいのだろうか?大学に入学した私は悩んだ。自分はなぜこの世に生を受けたのか?どのように生きたいのか?自分の新たなアイデンティティ探しがこのときから始まった。
もともと生き物が好きだった私は、専門課程に入って解剖、組織、病理学の虜になった。生命の不思議さ、美しさに魅せられた。研究室に通い電子顕微鏡もさわらせていただいた。
臨床はもっと面白かった。卒業のときに口腔外科の教授から教室に残らないかと誘われたが家庭の経済状況は厳しく、断念した。臨床家になる道を選んだ私は、幸い城西歯科大学PDI歯科臨床研究所に研修生として入ることになり、ここの2年間を通じて、多くの優秀な臨床家の先生に出会うことができた。我が恩師の飯島国好先生もその一人である。歯科雑誌で先生方のすばらしい症例をみるにつけ、いつか自分も・・という思いを胸に臨床技術の習得に励んだ。その後さらに習得が不十分だった矯正臨床を6年間矯正専門医で学んだ。臨床家としての技術は習得できたが、自分は本当に歯科開業医としてやっていっていいのか自信がなかった。結局、私は自分のアイデンティティが定まらないまま開業することになった。
開業7年目に私は一人の患者から非常に大切なことを教えられた。50過ぎの小学校の教頭先生で、カリエスのほとんどない典型的な歯周病の患者さんだった。 右下臼歯部のブリッジの歯肉がはれて、動揺して噛めないという。両支台歯ともにプローブは根尖付近まで入り、排膿、根周囲の骨吸収像が認められた。レントゲンを見ていただきながら抜歯の説明をしたが、今は抜かないで残してほしいという。残しておくことのデメリットをお話したが、受け入れてもらえなかった。当時EBM(Evidenced Based Medicine)の勉強を始めたばかりの私は、文献の研究データーまで持ち出して、説得を試みたが同意してもらえなかった。学校の先生にはなんとも気難しい人がいるものだと思いながら、ルートプレーニング(根面の清掃)と抗生剤の投与を行った。
それから半年後のこと、その先生の奥様がお見えになった。待合室に座られて、帽子を脱いだ姿に驚いた。まるで尼さんのようだった。お話を伺うと、脳腫瘍の手術を受けてつい先週退院されたばかりだという。半年前は自分が何をしているのかもわからない状態になってしまい、家族に相当迷惑をかけたと涙ながらに話された。そのとき私は全てを理解した。なぜ教頭先生はあれほどに抜いてほしくないといったのか、その心の痛みがわかった。自分の事どころではなかったのだ。あのときもっと話を聞くことができれば、もっとよい対応ができたのにと思った。今までの自分は病気という現象だけを見て、患者自身を診てなかったことに気づかされた。同じ病気であっても、ひとりひとり病気に対する思いは異なることを知った。
これをきっかけに私は上智大学でカウンセリングを学び始めた。聴く技術が自分にはほとんどなかったことに驚いた。患者の話す言葉のうち、診断名をつけるのに自分が必要としている言葉しか聴いていなかった。患者の気持ちはわたしの体を素通りしていた。カウンセリングを学べば学ぶほど、患者が語る物語の重要性を痛感した。私がやろうとしていた「EBMに基づく医療」は、患者の語る物語であるNBMの部分とかみあってはじめて意味のある医療になると思うようになった。EBMだけに偏った医療は、個人を統計という数字に当てはめてしまう。そこには患者個人の思いや感情は存在しえない。
NBM.jpg EBMの提唱者のひとりであるロンドン大学プライマリ・ヘルス・ケア学講座教授トリシャ・グリーンハル氏はナラティブ・ベイスト・メディスン(金剛出版) という本の中で、「EBMに基づく医療を行おうとする努力は、傾聴や質問、叙述、要約、説明、解釈などの臨床技法は科学そのものなのかという疑問を生じさせる皮肉な結果をもたらしたが、物語の尊重と解読こそが重要な臨床技術である。」とNBMの重要性を述べている。
5年たった今でも右下のブリッジは健在である。教頭先生は校長先生となり、3ヶ月に1度メインテナンスに私のところへ来てくださっている。歯の大事さ、健康の大切さを本当に理解され、一生懸命にお手入れされている。そのような患者さんに接していると、病気を治すことだけが医療の目的ではないと感じる。歯科医師としての自分の役割とは、患者の気持ちに寄り添い、思いを聴くことで、患者の気づいていなかった病気の意味に新たな気づきを与えることではないかと思う。多くの人に出会い、教えられ、気づき、わたしはようやく自分のアイデンティティを探しあてることができたのである。
最後に写真家の故星野道夫さんの言葉を引用して本稿を閉じたい。「結果が最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまったかけがえのない、その時間である。」

 
K君のこと
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Photo by ミントBlue    

私が小学校の4年生の時、同じクラスにK君というおとなしい子がいた。彼は口がきけない訳ではなかったが、何らかの理由で学校では一言もしゃべらず、いつも教室の隅に一人ぼっちでいた。例によっていじめっ子たちは彼を捕まえ、くすぐって声を上げさせようとしたが、彼は笑い声すらも上げなかった。
ある時、図工の授業で二人以上のグループを作って共同で一つの作品を作ることになった。私はK君といっしょに作品を作ることにした。K君とは会話ができないので、私が適当に質問をしてyesなら右手、noなら左手にタッチしてもらうことで何を作るかを相談した。学校の帰りにK君の家まで行き、k君の家で作品を作った。その時お母さんから、K君は家ではすごく良くしゃべるということを聞かされてびっくりした。しかし私がいると、自宅に帰ってもk君は相変わらずしゃべらなかった。数日かかって作品は無事に完成し、先生からほめられた。それから私はK君と時々遊ぶようになった。
しかしある日、私はK君と夕方に会う約束をしていたにもかかわらず、何かに夢中になっていて忘れてしまった。きっと長い時間約束の場所で待っていただろうK君に私は次の日学校で謝まった。K君は許してくれたが、私は妙な罪悪感を感じて、それ以来K君とは疎遠になり、その年の終わりにK君は転校してしまった。
あのときの妙な罪悪感が何だったのか、最近になってようやく気がついた。あのときの私はK君を友達として対等に見ていなかったのである。自分の中にかわいそうだからという同情の気持ちがあり、自分は良いことをしているんだという優越感にも似た感情があった。そういう気持ちでK君と接していた自分に私は罪悪感を感じたのである。
実は、これは今の私にとっての日常である、歯科医師と患者の関係に良く似ていると思う。ややもすると、医療者は病に困っている人たちを治してあげているという思いを持ち易い。K君との出来事を回想した事がきっかけで、私はこの事に気づくことになったのである。そして医療者が患者さんをひとりの人間として尊重することがどれほど難しい事か、改めて思い知らされた。日々の診療において、私は常にこの事を念頭に置いて、患者の思いを聴いていきたい。

 
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